Notice: Function _load_textdomain_just_in_time was called incorrectly. Translation loading for the google-maps-easy domain was triggered too early. This is usually an indicator for some code in the plugin or theme running too early. Translations should be loaded at the init action or later. Please see Debugging in WordPress for more information. (This message was added in version 6.7.0.) in /home/users/1/tokeigoya/web/1920041.com/soto/wp-includes/functions.php on line 6170

Notice: 関数 _load_textdomain_just_in_time が誤って呼び出されました。twentytwentyone ドメインの翻訳の読み込みが早すぎました。これは通常、プラグインまたはテーマの一部のコードが早すぎるタイミングで実行されていることを示しています。翻訳は init アクション以降で読み込む必要があります。 詳しくは WordPress のデバッグをご覧ください。 (このメッセージはバージョン 6.7.0 で追加されました) in /home/users/1/tokeigoya/web/1920041.com/soto/wp-includes/functions.php on line 6170

Warning: Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/tokeigoya/web/1920041.com/soto/wp-includes/functions.php:6170) in /home/users/1/tokeigoya/web/1920041.com/soto/wp-includes/feed-rss2.php on line 8
周辺を巡る – 桑都みらい物語 https://soto.1920041.com 桑都八王子の歴史と未来を描く Tue, 22 Feb 2022 09:23:44 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=7.0 https://soto.1920041.com/wp-content/uploads/2021/07/cropped-桑都みらい物語ファビコン-32x32.png 周辺を巡る – 桑都みらい物語 https://soto.1920041.com 32 32 愛川繊維会館 https://soto.1920041.com/2021/10/01/aikawa_seni_kaikan/ https://soto.1920041.com/2021/10/01/aikawa_seni_kaikan/#respond Fri, 01 Oct 2021 11:34:43 +0000 https://soto.1920041.com/?p=1663 続きを読む 愛川繊維会館]]>

神奈川県愛甲郡愛川町半原にある、愛川繊維会館 を訪れました。撚糸の産地として栄えた街の資料が展示されているこの施設では、手織り体験をはじめ、藍染、紙漉き、組紐などの制作体験もできるのだとか。2 階には、当時実際に使用されていた貴重な機械を見ることができます。

始まりは養蚕

ここは、かつて養蚕が盛んに行われていた地域。そして、日本屈指の撚糸業地として有名であった場所です。周囲は山に囲まれていて、取材に伺った日は山が芽吹き、鶯の鳴き声が聞こえてきました。この自然に囲まれた一帯は平地が少なく、水田にも畑地にも恵まれなかったといいます。農業だけでは生活が立ち行かず、副業の一つとして養蚕が選ばれたのです。取れた繭から布を織って、暮らしの足しにしていました。当時はこの織物を「半原絹」と呼び、上等品として扱われていたのだそう。

半原は、江戸や甲州、八王子などの産地に近かったこともあり、撚糸の受注が容易な土地でした。各産地の組紐の糸や織物用の糸を生産する仕事が次第に始まります。絹の撚糸は値段も高く他の副業よりも収入が良いという利点も、養蚕地でありながら撚糸の産地として発展していった理由の一つでした。

八丁式撚糸機

撚糸は昔から「紡車」(つむぎぐるま)という機械で撚っていました。それは輪にかけた紐の動きで一本のおもりを回して撚るという原始的な方法です。それを見た桐生の大工、岩瀬吉兵衛が考案したのがこの「八丁式撚糸機」の元になる機械でした。木製の「八丁式撚糸機」では、台の上に20 本ほどのおもりを横並びに取り付け、それぞれに掛けた紐を大きな輪で一斉に回転させる動きで糸を撚ります。それは「紡車」に比べて何十倍も効率が上がり、桐生では織物業も大きく発展しました。半原にこの八丁式撚糸機が導入されたのは19 世紀初め、1807 年のこと。半原の商人であった小島紋右衛門が仕事で桐生を訪れた際に出会います。その素晴らしい機械の働きを見て、すぐに桐生から取り寄せて撚糸職人も招き撚糸業を始めたそうです。

発展した理由

半原はなぜ日本屈指の撚糸産地になるほど発展したのでしょうか。そこには地理的な理由と、宮大工の存在が大きく影響しています。平地が少ない反面、川や沢が多く撚糸機を動かす水力が多いこと。撚糸製造に不可欠な一定の湿度が地形上保たれていたことなども理由の一つです。そして、以前から半原に根付いていた優れた技術を持つ宮大工が、工夫して機械を作ります。のちには撚糸を専門とする大工も現れるほど、他にはない撚糸機の発展に貢献しました。このように、半原は撚糸業に適した条件の揃った場所と、技術向上に熱心だった宮大工のおかげで一大産地として栄えていったのです。それほど栄えていた半原の撚糸産業も、現在ではその工場のほとんが無くなっています。会館には、今は使われなくなった様々な機械が大切に保存されていました。それぞれの機械に細かい説明が付いていて、初心者でもよく理解することができます。撚糸会館は、貴重な産業の資料とともに半原の撚糸産業の軌跡が残されている場所でした。自然と撚糸産業が強く結びついていた愛川町。その自然を感じに、ぜひ会館を訪れてみてください。

text:Hirono Aoki

]]>
https://soto.1920041.com/2021/10/01/aikawa_seni_kaikan/feed/ 0
神奈川レース https://soto.1920041.com/2021/10/01/kanagawa_lace/ https://soto.1920041.com/2021/10/01/kanagawa_lace/#respond Fri, 01 Oct 2021 11:33:30 +0000 https://soto.1920041.com/?p=1660 続きを読む 神奈川レース]]>

神奈川レースは第二次世界大戦後、昭和24 年にスタートした会社。現在は有名ブランドの刺繍布を扱っています。当初は肌着の肩紐をつくる細巾織物を生産していました。アメリカ映画で刺繍の入ったブラジャーを目にし、製品に付加価値をつけたいという想いから、昭和35 年にレースを始めたのだそう。インナーから始まり、衣服の刺繍、国内生産の高級下着の刺繍を行っていましたが、国内メーカーの生産は多くが中国へと移ってしまいます。日本で生産が盛んだった時代にはレースの機械を何十台持っているような工場もありましたが、今では数台の小さな工場がほとんど。現在も続けられている工場は日本全国を見ても本当に数少ないようです。

人の手をたどるレース機

レース機は、手刺繍と同じように生地に枠が張られていました。のぞいてみると、針は上下するだけで、枠が左右に動いて形ができていく様子が見えます。レース機の長さは1 台なんと14m!ちょうど1反を同時に刺繍できるようになっているのだそう。このようなレース機を扱う工場は少ないため、国内にレース機を扱える技術者はもういません。不具合が起きた際は、海外の技術者に連絡するため、すぐに改善できず、やり取りが難しくなっているそうです。レースの図案は、元絵の6 倍に印刷され、1針1針ペンでデータを打ち込んでいきます。糸の始まりと終わりを点で打ち込み、レース機は点の位置を記録して布に針を打ち込むのです。打ち込まれたデータは、打ち込んだ順番にならって刺繍されます。図案が刺繍になる際、もう少しここはふくよかにしたい、スリムにしたいといったようにイメージを膨らませて修正を重ね、データ化するのだそう。この図案製作に、それぞれの工場の特徴が出ると言います。デザイナーのアイデアだけではなく、技術者のセンスによって出来上がりは大きく変わっていくため、デザイナーが望んでいる結果を汲み取り、期待以上の図案を仕上げる。人気の刺繍布は、このような技術者による繊細な作業から生まれていきました。

機械のミスを手直しする

取材に訪れた際に目に留まったのは、ミシンや机に向かって黙々と手仕事をする方々。機械のミスを手直しするという細かな作業をされていました。一見工場らしく思いますが、今まで訪れた繊維工場では目にしなかった光景です。他の工場では、ミスは使われない部分として避けるという印象がありました。しかしここでは、それを人の手でコツコツと直している。神奈川レースさんの繊細なものづくり精神が感じられました。

パワフルな佐藤さん

工場の案内をしていただいた佐藤さん。その中で、たくさんのお話を聞かせていただきました。佐藤さんは、近くにレース工場ができたことをきっかけに興味を持ち、この職業を選ばれたのだそう。大学三年生の私たちを「自分の子だったら…」と親のような気持ちで将来を心配してくださったり、免疫を高めるために健康の秘訣を教えてくださったり、スマートフォンを取り出して、インスタグラムに載っているご自身の仕事を紹介してくださったり、、と、そんな気さくでパワフルな姿に驚かされました。佐藤さんの、自分たちが良いものづくりをしているという自信と、親身になって話を聞いてくださる姿勢が、お取引先との信頼関係を築いているのでしょう。これが、神奈川レースさんにしかできないお仕事に繋がっているのだと感じました。

text:Sena Nakano

]]>
https://soto.1920041.com/2021/10/01/kanagawa_lace/feed/ 0
株式会社イノウエ https://soto.1920041.com/2021/10/01/inoue/ https://soto.1920041.com/2021/10/01/inoue/#respond Fri, 01 Oct 2021 11:32:21 +0000 https://soto.1920041.com/?p=1657 続きを読む 株式会社イノウエ]]>

神奈川県相模原市の西側、山奥の湖の近くに工場を構えるイノウエ。1928 年に、組紐の製造から始まりました。その後二代目社長が組紐の技術を活かしたヘアゴムの開発に取り組み、現在ではオリジナル商品の開発や、日本国内に留まらない海外に向けたPR 活動もされています。元々この半原・津久井地域は日本有数の組紐産地で、創業当時は数十件の家内工業がにぎわいを見せていたそうです。

くるくる回る機械

工場内ではたくさんの製紐機(せいちゅうき)が稼働し、ものすごい迫力に圧倒されます。その数なんと約400 台!製紐機は特殊な見た目をしています。引っ張られた状態の一本のゴムの周りを、糸が巻き付けられたボビンがいくつもくるくると回り、ゴムの表面を包んでいきます。この糸の色数を増やしたり変えたりすることで、色柄のバリエーションのあるゴム紐が生まれます。ゴムが太いものだと、必要なボビンの量も増え、大きな製紐機で作られることになります。テンションをかけたままのゴムに糸を巻きつけることで、伸縮性のある紐になるそうです。工場に伺ったのは3月の終わり頃。ですが、もう次の冬に向けての商品を製造していました。乾燥する冬がシーズンである商品、静電気軽減リングに使われる紐には、静電気を軽減する特殊な糸が組み合わされています。春のうちに作り始めて、夏には出荷、そして次の冬になると私たちの元へとやってくるのです。

ヘアゴムの生みの親!

看板商品であるヘアゴムは、ファッションブームが到来してすぐの1960~70 年代頃に「日本女性の美しい黒髪に似合うカラフルな紐を!」と、まだ自由なファッションが考えられなかった時代に開発されました。世の中にカラーゴムの存在が知られるようになるとともに、製造が間に合わなくなるほど売れるようになっていきます。その後、髪を「結ぶ」という行為が生活から薄れつつあった時代に女の子が自分一人で髪を結くことができるようにとリング状のヘアゴムを開発。つなぎ目がわからなくゴムを接着する技術は特許を取得しており、今では女性の必需品となるほどの大ヒットに繋がりました。

普段あたり前のように使っているゴム紐の生まれる現場を間近に見ることができ、日常にはものづくりが溢れていることに気づきました。何もないところから当たり前をつくるというのは、本当にすごいことだと思います。一つ一つに技術や工夫、情熱が詰まっています。ものづくりの現場やエピソードを知ることは、ものに対する私たちの価値観を変えていくことにつながるはずだと感じることができました。

工夫が溢れた工場

工場の壁一面は60 色もある紐の在庫で埋め尽くされており、印のついた半透明の箱に入れられています。箱の印は、紐の減りによって残りのメートル数がわかるメモリになっており、取り出さずとも一目で在庫量の確認ができる工夫がされていました。また、工場内は温度が一定に保たれています。温度が低すぎたり、乾燥しすぎたりすると、紐が切れやすくなってしまうそう。そのため従業員の方々は、一年中イノウエのユニフォームであるブルーのT シャツ姿でお仕事をされており「工場内では季節感がない」と笑いながらおっしゃっていました。

text:Ami Tanaka

]]>
https://soto.1920041.com/2021/10/01/inoue/feed/ 0
小山織物工場 https://soto.1920041.com/2021/10/01/koyama_orimono/ https://soto.1920041.com/2021/10/01/koyama_orimono/#respond Fri, 01 Oct 2021 11:29:49 +0000 https://soto.1920041.com/?p=1654 続きを読む 小山織物工場]]>

八王子を離れ、福生市のさらに北にある西多摩郡瑞穂町へ。訪れたのは、大正12 年創業の「板締め」を行う小山織物です。染色の伝統技法である「板締め」を応用し、服地に施している小山さん。80 年代のファッションブームによる伝統技法の新たなチャレンジは、どのように生まれたのでしょうか。

小山さんの話

出迎えて下さったスーツ姿の小山さんを見て、想像していた職人像とは違った姿に驚きました。小山さんはとても几帳面な方で、昭和58 年からの発注依頼書が大切にファイルに納められています。しかし意外にも、学生時代の小山さんは八王子工業高校の応援団に所属する「蛮カラ」だったそう。その頃、当時大学生だったみやしん株式会社(現・文化ファッションテキスタイル研究所)の宮本さんと出会い、喫茶店で意気投合したのだとおっしゃっていました。高校を卒業した後の昭和40 年代、洋服マーチャンダイザーとして2 年間、八王子のたつみやで働いていました。45000 円ほどの給料のうち、30000 円がガソリン代としてなくなってしまうことも。ライセンスをとるほどの車好きで給料全部を車に投資していたり、お話から小山さんの生きてきた時代を感じました。小山織物では、みやしんの宮本さんから「まだ機屋やってるか?」と電話がかかってきたことをきっかけに、新しい仕事が始まりました。それまでは和服の糸の板締めをしていましたが、依頼は洋服生地に板締め染めをすること。布幅が板締めの型より大きいため綺麗に防染することが難しく、また、同じモノの再現や、パターン化が不可能です。しかしその分、これまでの板締めの概念を覆す新たな技術やバリエーションが生まれていきました。これが魅力となり、服の生地をつくるお仕事が始まったのです。

村山大島紬と「板締め」

この地域では古くから村山大島紬の生産を行ってます。小山さんはその中でも糸染めの工程を担っており、糸を染める部分・染めない部分に分けて模様を出す絣染めの技術、「板締め」を行なっていました。昭和50 年頃、村山大島紬は通産大臣指定伝統的工芸品に選出したことで脚光を浴びます。全国に小山織物の商品がまわり、売上は50 億円になったこともあったそう。しかし現在では、大島紬を作る工場は2 社しか残っていません。

絣生地を大量生産するための板締め技法は、板が1 反(13m) に100 枚も必要になります。手作業で作られる板締めの板。絵の図案を板図案に変え、板に図案を彫り出してからやっと染色の工程に入ります。手仕事の工程が多く、それぞれの仕事があってこそ成り立つ板締め。1 つ工場が無くなれば、生産が難しくなります。最盛期には図案屋さんや板を彫る技術者もいましたが、すでに失われてしまいました。現在小山織物さんでは、過去の板を使用した板締めを行なっています。

変化する伝統技法

80 年代は、ファッションデザイナーがこぞってオリジナル性の高い生地を開発していた時代。伝統技法を活用するアイデアや需要がいくつもあったのだと思います。小山さんのように柔軟な方に、日本のアパレルは救われていたのだと感じました。しかし、技術者の担い手が育たないのも現状。一時的に技術を利用するだけではなく、継承を一緒に考えていけるものづくりをしなければならないと強く感じました。

text:Sena Nakano

]]>
https://soto.1920041.com/2021/10/01/koyama_orimono/feed/ 0