株式会社イノウエ

神奈川県相模原市の西側、山奥の湖の近くに工場を構えるイノウエ。1928 年に、組紐の製造から始まりました。その後二代目社長が組紐の技術を活かしたヘアゴムの開発に取り組み、現在ではオリジナル商品の開発や、日本国内に留まらない海外に向けたPR 活動もされています。元々この半原・津久井地域は日本有数の組紐産地で、創業当時は数十件の家内工業がにぎわいを見せていたそうです。

くるくる回る機械

工場内ではたくさんの製紐機(せいちゅうき)が稼働し、ものすごい迫力に圧倒されます。その数なんと約400 台!製紐機は特殊な見た目をしています。引っ張られた状態の一本のゴムの周りを、糸が巻き付けられたボビンがいくつもくるくると回り、ゴムの表面を包んでいきます。この糸の色数を増やしたり変えたりすることで、色柄のバリエーションのあるゴム紐が生まれます。ゴムが太いものだと、必要なボビンの量も増え、大きな製紐機で作られることになります。テンションをかけたままのゴムに糸を巻きつけることで、伸縮性のある紐になるそうです。工場に伺ったのは3月の終わり頃。ですが、もう次の冬に向けての商品を製造していました。乾燥する冬がシーズンである商品、静電気軽減リングに使われる紐には、静電気を軽減する特殊な糸が組み合わされています。春のうちに作り始めて、夏には出荷、そして次の冬になると私たちの元へとやってくるのです。

ヘアゴムの生みの親!

看板商品であるヘアゴムは、ファッションブームが到来してすぐの1960~70 年代頃に「日本女性の美しい黒髪に似合うカラフルな紐を!」と、まだ自由なファッションが考えられなかった時代に開発されました。世の中にカラーゴムの存在が知られるようになるとともに、製造が間に合わなくなるほど売れるようになっていきます。その後、髪を「結ぶ」という行為が生活から薄れつつあった時代に女の子が自分一人で髪を結くことができるようにとリング状のヘアゴムを開発。つなぎ目がわからなくゴムを接着する技術は特許を取得しており、今では女性の必需品となるほどの大ヒットに繋がりました。

普段あたり前のように使っているゴム紐の生まれる現場を間近に見ることができ、日常にはものづくりが溢れていることに気づきました。何もないところから当たり前をつくるというのは、本当にすごいことだと思います。一つ一つに技術や工夫、情熱が詰まっています。ものづくりの現場やエピソードを知ることは、ものに対する私たちの価値観を変えていくことにつながるはずだと感じることができました。

工夫が溢れた工場

工場の壁一面は60 色もある紐の在庫で埋め尽くされており、印のついた半透明の箱に入れられています。箱の印は、紐の減りによって残りのメートル数がわかるメモリになっており、取り出さずとも一目で在庫量の確認ができる工夫がされていました。また、工場内は温度が一定に保たれています。温度が低すぎたり、乾燥しすぎたりすると、紐が切れやすくなってしまうそう。そのため従業員の方々は、一年中イノウエのユニフォームであるブルーのT シャツ姿でお仕事をされており「工場内では季節感がない」と笑いながらおっしゃっていました。

text:Ami Tanaka

工場めぐりMAPへ戻る