株式会社青山良

多繊維関係の工場跡地が多い中野上町。この街にある横編みニット工場、青山良ニットさんは、DC ブランド全盛期の時代、ファッションデザイナーとのものづくりで技術力を培った工場です。

ニットと八王子

青山ニットさんで作られていたセーターを見せていただいた時は、その模様のカラフルさや複雑さに驚きました。何色使っているのか数えるのも難しいほどで、模様がいくつも重なっているニットです。初めて見たときはこんなに派手でポップなニットと八王子のイメージが重なりませんでした。しかし、都心部から近い八王子には、以前は30 社以上のニット屋さんがあったそうで、1970~90 年代のファッション業界が栄えていた時代、八王子ではブランドのニットが数多く生産されていたのです。

フィッチェとドン小西さん

当時青山ニットさんでは、主にフィッチェ・ウォーモの小西良幸(=ドン小西) さんがデザインするメンズセーターを作っていたそうです。フィッチェは1980 年代から90 年代にかけてドン小西さんが手がけたブランド。小西さんのデザインはとにかく奇抜で、一枚のニットの中に何色もの色が複雑に編みこまれています。素材も固い糸を使用することが多かったため、ニットメーカーにとって難しい依頼が多かったそう。それでも工場で小西さんたちと一緒に試行錯誤をし、修正しながら形にしていくことで、青山さんのニットの技術も磨かれて行ったそうです。青山さんは、そんな小西さんとの思い出を楽しそうにお話ししてくださいました。

時代の変化

大切なことは「長く続けること」だと青山さんは言います。90 年代以降アパレル業界が衰退していく中でも、青山さんは特別な技術でニットを作り続けました。複雑な組織とデザイン性を生かし、デパート・百貨店での婦人向けストールやマフラーが人気となったそう。見せていただくと、珍しい模様のものや、縮んだり凹凸のある生地の数々。思わず触ってみたくなります。青山さんは、時代とともに作る物が変わっても変わらない魅力があるニットを生み出し続けていると感じます。現在開発しているバッグの製品サンプルを作る様子を青山さんに見せていただきました。柔らかかったニットは、青山さんがアイロンをかけると硬くなります。実際に触ってみると私の知っているニットとは違い、硬さと厚みがある丈夫な生地に。伸縮性が特徴のニットですが、バッグ生地に求められるような形の崩れないニット地が青山さんの技術によって生み出されていました。

ニットへの想い

過去の製作で磨かれた高い技術は、今も活かされています。好奇心が旺盛で、何にでも挑戦してきたと言う青山さん。難しい依頼もサンプルを繰り返して、丁寧に仕上げます。そうして磨かれた技術を応用して組み合わせることが、現在の新しいものづくりに繋がっているのです。取材を通し、「長く続けること」が大切だとおっしゃっていた意味がわかった気がしました。続けていく中で得た技術は財産だと話す青山さんは、とても明るい顔で輝いて見えました。

text:Hirono Aoki

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